春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、花落つること知る多少。
春眠暁を覚えず。と出だしはよく聞くフレーズですが、全文読むとまさに今ですね。
春の眠りは心地よく。
降った雨に散った花を想う。
桜まつりが開催され、満開間近の桜の花は雨で散ってしまわなかっただろうか。
昨日も本日も、珍しくハスキーのお客様がご来店。
特に本日は中型の子がいたので一緒に遊んでくれて、こちらも見ていて安心。
とある公園にお散歩に行った折に、桜の花が咲いた枝が折られていました。
折角咲いた桜の花の若い枝を折るとは嘆かわしい・・・
写真を撮るために枝を引っ張ることをする方がいらっしゃるみたいですが・・・不自由であることもまた、自然を楽しむ材料の一つだと思うのですけれど。残念です。
折れた桜の枝を見て、頭に思い描いたことは『ワシントンと桜の木』
小さなころ読んだ本の中にあった話。
アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが幼いころ、父が大事にしていた桜の木を切ってしまう。
気が付いた父から問われ、逡巡しながらも正直に自分がやったと告白する。
すると父は咎めることをせず、正直に話したことを褒めたという話。
実際にはなかったといわれていますが、正直に話した本人よりも許した父を褒めたい(笑)
ただ、嘘をつくことの苦しみを知るという意味では秀逸だと思うし、当事者になった時に楽を選ばず正直に謝ることができる人間になりなさい。というのは賛同できる。
附則するならば、開き直るのではなく自分が行った行為を鑑みて正直に申し訳ない気持ちからの吐露であれば良いなと思う。
悪びれもなく、相手を慮ることもなくただ事実を口にし、言葉だけの謝罪に何の意味があろうか。
大人になるとそういった場面も目にするが、本来はそういうものではないということだけは自覚しておこうと思う。







